学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない

hatenaの話題だし久々にこっちでブログ書いとく。

一時期、教員やってた経験もあるんで、この問題にはちょっと言いたいことが。

大学は「教えてもらう場所」じゃなく「自ら学ぶ場所」

「大学は自らが学ぶ場所だから」は確かにその通りだけど、それを「へたくそな授業をする言い訳」に使うのはどうかと思う。

大学の授業、授業のうちの4・5割は「へたくそ、変われ、俺が授業やった方がいい」ってずっと思ってましたからねぇ。個人的な信念として、「人に教えられて初めて一人前」って思ってるんで、へたな授業をする人ってのはその時点で、教授だろうと、研究で成果残していようと半人前。

でもしょうがない

が、その後、研究室に配属されて間近で先生の様子を見てると、まあ、ろくでもない授業があるのもしょうがないって思うようになった。

実のところ、先生が受け持ってる授業って、もろにその先生の専門ってわけじゃないんですよねぇ。研究の基礎となる知識ではあるんだけど、かなり基礎中の基礎で、普段直接は触れてない。理学系ならともかく、工学系のところでは、普通そんな基礎知識は忘れる。大半の人は、理論の基礎わかってない状態で、「使えればいい」で研究してるわけです。

しかも、授業ってのは年1回なわけで。はっきり言うと、毎年忘れる。毎年忘れて、毎年自分が勉強しながら授業してる。結構な歳のおっさん・おばさんがそんな状態で授業したら、そりゃ飲み込みのいい若人が「変われ、俺がやる」って思うのも無理はない。

何がしょうがないって、そもそも不適格な人間が授業教えてるんですよ。そりゃダメに決まってる。

「しょうがない」ではいけない

この話、教員個人視点でいうと「しょうがない」って話で、大学という組織で見るとダメ

一般企業で例えると、「人格的に不適格で、新入社員をつぶしまくってる人が部長から降格しない」みたいな状態。

この例の場合、部長は部長なりに精いっぱいやってるはずで、部長を責めるのはお門違いだったりするんで、組織がその状況を止めないといけないと思う。

大学に欠けてるのは、そういう組織的に大学全体を良くして行こうという感覚。教授本人が音を上げない限り、教授がテンパってるのが発覚しない。学生も巻き込んでどんどんつぶれて行ってるのに、他の研究室の人はなかなか気づかない。あるいは、気づいていても、「あっちが不人気になればその分うちに優秀な学生が来るからいいや」くらいにしか思ってない。

この辺りが大学の一番の問題だと思うんですよね。

改善案

ぱっと思い付くのでも対処の方法はあるんですよね。実際にやってる学科もあるって聞きます。

  • 研究室の壁を取り払う
    • 大学を「自ら学ぶ場」というなら、「入ったはいいけど、やっぱこの先生ダメだ」って思ったら指導教員を変えれる仕組みが必要
    • 実際、研究室制を取り払ったっていう学科もあります
      • これはこれで、「同窓意識が希薄になる」っていう残念な点もあるんですが
    • 「本人の希望と、受け入れ先の新しい指導教員の人が同意すれば指導教員を変更可能」っていう学科もあります
      • これも、「人格的にアレな先生の吊るしあげ」になっちゃうんで、降格人事のない大学では「吊るしあげられて実質的に仕事のない教員に、他の教員と同じだけ給料払ってる」って状態になりかねませんが
        • ちなみに、40代以上の教員には任期が付いていなかったりするんで、どんなに酷い状況になってもクビにならなかったりします。
  • 研究用職員と、授業用職員分けた方がいいんじゃ
    • ろくでもない授業がある理由の1つは、さっき言ったように、「毎年忘れてるおっさん・おばさんが授業してる」というもの
    • なので、授業専用職員がいればこの問題は即座に解決するはず
    • 研究だけやっていたいって人と、授業だけやっていたい人ってのは両方確実にいる
    • 一部の学科ではこういう分化が起こってるっぽいです
      • 仕組み的にそうなってるわけじゃなくて、自然発生的にそうなってるだけっぽい
        • 正式なものではないので、やっちゃいけないことやってる状態
        • 正式に仕組みとして取り入れるべきだと思う